2008年9月18日 (木)

還暦祝いでアメリカ横断  計画の終着駅

 どのようなことにも、始まりと終わりがあります。勇んで勇んでアメリカ横断をしようと、本格的に考えたのは一年前でした。60歳のときの記念に、大陸を6000kmレンタカードライブをする計画を立てました。それからというものは、楽しみで楽しみで胸がワクワクしながら実行までの1年を過ごしてきました。しかし、9月2日にニューヨークを振り出しに出発、9月14日にサンフランシスコに到着しました。おかげさまで無事に旅の終着駅を迎えました。使用車はアメリカのシボレーRV車、走行距離は6091kmで、使用ガソリンは約900ℓでした。12州を通過しましたが、6000kmの地点を記念出口として、一度出口にでたところ、その出口の名前は「GOLD RUN]でした。なんと、縁起の良い名前かと感動をしました。友人知人同級生の皆さんと、この縁起を一緒に担ぎたいと思いますので、ご賛同をよろしくお願いをいたします。到着後2日間はサンフランシスコで帰国準備しながらぶらぶらしました。そして、17日に日本に帰国しました。やむを得ず、今回の計画の終着駅を迎えました。
 無事故・無違反・特記するアクシデントは、まったく無く、感動感動の楽しいことだけの連続でした。アメリカ人の運転マナーは最高で、不愉快なことはまったくありませんでした。強いてアクシデントを記すと、道に迷い人家が見当たらない荒野をたったの300km走っただけでした。気がついたのですが、大きく広く考えるとアクシデントは
少なく、狭く小さく考えると、周りはアクシデントだらけになってしまいます。この大らかさの考え方を、今回アメリカで得られました。
 最後にアメリカ感ですが、この国は良くも悪くも世界のチャンピオンでいて欲しい国と感じました。その根拠は、国の総資本「人・物・金・」が、日本および他国の比でなく、無尽蔵のように思えました。

 追記
 リーマンブラザーズの破産をサンフランシスコで聞きました。その夜、サンフランシスコの繁華街では、ビジネスマン・若者達の華やかな笑い声が深夜まで聞こえてきました。アメリカ社会の躍動力はどこまでも力強く感じられました。 
 長らく誤字脱字と勝手な考えを記してきましたが、横断のご支援をありがとうございました。おかげさまで無事終わりました。今夜は寂しさからくる脱力感を自ずから癒そうと、次の計画を薄すぼんやり考えています。午前3時。
 

 

2008年9月16日 (火)

還暦祝いでアメリカ横断  サンフランシスコで骨休み

 9月2日成田出発 同日ニューヨーク着後、ハーツレンタカーで遥か彼方のサンフランシスコに向かう。
途中、天候は全部味わった。晴れ、曇り、雨、ミニ竜巻、タイーフーンの余波。気温は30度から17度まで体験しました。
 地べたには、荒野、砂漠、オアシス、畑、牧草地、山林等があった。水は海、川、湖、池、沼にあった。空には紺碧空、灰色、雨雲、雷雲があった。つまり、宇宙かつ自然の一巡を見るこがアメリカできました。
 高校の恩師からは60歳で6000km走破のお誉めを受けた。先輩友人からは物心両面から支援を受けました。職場からは、すごいの一言を受けました。家族からもう止めてくださいの一言を受けました。つまり、お誉めが
3に対し1の割合で批判?されました。3:1は世の常ですから安心できました。
 ご迷惑を多方面におかけしました。誠に申し訳ありませんでした。以後、二度と一年間だけはやりません。お許しをいただきます。
 次は、尊敬する人々を招いてアメリカ縦断を計画しますので、私から声が掛かりましたらご計画をお願いします。
そろそろ寝る準備をしますので終わり。 
   2008年9月16日  明日は日本へ。
                      アメリカ滞在15日目 サンフランシスコ湾が見えるモーテルで記す。

還暦祝いでアメリカ横断  サンフランシスコで骨休み

 9月2日成田出発 同日ニューヨーク着後、ハーツレンタカーで遥か彼方のサンフランシスコに向かう。
途中、天候は全部味わった。晴れ、曇り、雨、ミニ竜巻、タイーフーンの余波。気温は30度から17度まで体験しました。
 地べたには、荒野、砂漠、オアシス、畑、牧草地、山林等があった。水は海、川、湖、池、沼にあった。空には紺碧空、灰色、雨雲、雷雲があった。つまり、宇宙かつ自然の一巡を見るこがアメリカできました。
 高校の恩師からは60歳で6000km走破のお誉めを受けた。先輩友人からは物心両面から支援を受けました。職場からは、すごいの一言を受けました。家族からもう止めてくださいの一言を受けました。るまり、お誉めが
3に対し1の割合で批判?されました。3:1は世の常ですから安心できました。
 ご迷惑を多方面におかけしました。誠に申し訳ありませんでした。以後、二度と一年間だけはやりません。お許しをいただきます。
 次は、尊敬する人々を招いてアメリカ縦断を計画しますので、私から声が掛かりましたらご計画をお願いします。
そろそろ寝る準備をしますので終わり。 
   2008年9月16日  明日は日本へ。
                      アメリカ滞在15日目 サンフランシスコ湾が見えるモーテルで記す。

還暦祝いでアメリカ横断  サンフランシスコで骨休み

2008年9月15日 (月)

還暦祝いでアメリカ横断 6000km走破 恩師のお誉めを

 神成先生、お誉めに与り有難うございます。学生時代は先生からお誉めに与ったことは全くありませんでした。思えば、先生は国語の先生でしたが、先生から学生時代に教わったのは、単なる国語で無く、国語を通じて「男は強く、賢く、女性を優しく、弱い者はイジメルナ」ということだったと勝手に解明しました。我恩師の最高峰
「神成先生」は中国上海市内に、ご夫婦で住んで元気溌剌に人生を楽しんでいらしゃいます。水商高卒の方は訪ねて行けば、必ず喜んでくれます。私は卒業して42年たちますが、いまだに上海市でお会いして時々活を受けます。人生のご利益がありますから是非行ってください。
 お誉めに預かったことは「還暦記念でニューヨークからサンフランシスコまで、レンターカーで横断ドライブ6000kmを走破」したからです。この計画は30歳のころから考えていましたが、時間の関係で、なかなかできませんでした。しかし、60歳になったのを機に実行したわけです。学生時代は、規則違反常習者でしたが、なんとアメリカの道路法規は何一つ犯すことなく無事故無違反で走破できました。無事故無違反は、何にも勝る快挙ですが、
物心共々支援してくれた方々に、伏して感謝を申し上げさせていただきます。本当にありがとうございました。
 今日は、サンフランシスコで買い物をして、ぶらぶらしました。現在、パソコン中ですが、脇にはオンザロック
(恩師直伝)とアメリカのツマミ(不明)があります。ちびちびやっているのですが、四杯目になり、かなり酔ってきます。外は九時まで明るく、夕方の6時ですが太陽が高く真昼間です。時々モーテルの外で英語の話し声が聞こえてきますが、アメリカ人には私が飲っている晩酌の儀式と心意気は分からないでしょう。日本人の技ありの勝ちだと思います。ワカルカナー感ですね?」
 さて、アメリカ横断は大いに修練になりました。体力、気力、知力?、判断力、会話力(単純な英語でない、身振り手振りも入る)生存力、順応力、沈着力、本能力、眼力、心力、あらゆる力を育て修練する横断になりました。
このような企画と実行をする心を高校時代に育ててくれた「神成恩師」に再度感謝を申し下げさせていただき、一度終了します。           重輝

追伸:サンフランシスコ湾近くのモーテルにいますが、日本の田舎(東海)うどんの匂いがしてきました。まさか、うどんの匂いがするわけがないと思うのですが、外を調べてきます。 報告は後で。
                                

2008年9月14日 (日)

還暦祝いでアメリカ横断・金門橋に到達した。6000km走破完了

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 今朝の13日にサンフランシスコ手前の名さえ知らない町を午前7:00出発して、サンフランシスコのゴールデンブリッジに、午前10:30に到着しました。振り返れば、ニューヨークに9月2日に到着して一泊、3日にマンハッタンのグランドゼロ前で黙祷を奉げ、州間高速道路I80をまっしぐらにサンフランシスに向かい出発しました。今日は9月13日だから、10日間かかってサンフランシスコに到着したということになります。今回の目的は、60歳で
6000km走破とNYからSANまでのアメリカドライブ長距離横断(予備目的・体力・判断力・生命力・英会話力)でした。通過した主要都市は12州で、走破した距離は6091kmでした。6091kmという距離数は、天照の神が還暦60歳だが、私たちとこの横断の支援者に91歳まで生き延びられる力を授けてくれたのでしょう。
 走行6000kmを記念して降りた出口の名前は「カルフォルニア州のGOLD・RUN」でした。あとで電子辞書で調べた意味に、「財宝が駆けつける」という意味がありましたので、東海中と水商60歳還暦到達の皆様は一緒にその良いゲンに浴してくださるようお願いをいたします。信じれば、大中小のいずれかの財宝が駆けつけてくることになると思いましょうよ。
 横断中の6091km間の衣食住について記しますと、衣はお洒落は必要なく、清潔感と機能性をモットーにしました。おかげで、アメリカ人女性が誰一人と私にお洒落と言いませんでした。・・・納得しーた。食はパン食が中心で、美味いものを食べたことが一切ありませんでした。美味いものを食えない理由は、言語不足ですから、仕様がありません。浅才非学の身の上で自業自得。朝はマックか白人系の食事の雑食、昼はほとんどマック、夕はモーテルでインスタントラーメン、又は、何でもありの外食でした。アメリカに来る前の志に反し、おかげさまで肥って帰れそうです。住はモーテル宿泊ですから、アメリカのホテルの醍醐味は味わえませんでしたが、モーテル
の窓口で、男二人で行くと「シングルベット・ツウベット」とよく聞かれました。これには苦笑いで「ノー」と自信を持って答えました。アメリカの英会話で一番自信のあるノー発言でした。
 景色は、ニューヨーク周辺東部はトウモロコシ畑の緑一色、シカゴ周辺中部は湖と重工業の町、ララミー周辺の西部は荒野と牛馬羊飼いの牧童の町、サンフランシスコ西海岸は外国航路港、潮騒の町でした。おまけに、迷い込んで一日彷徨ったオレゴン州は、本格狩猟(熊・鹿等大型動物)と牧畜の町でした。
 天候は、10日のうち雨が一日で、あとは全部快晴温暖で恵まれました。ただし、夜9:00頃まで明るいので寝るのが遅くなりました。夜遅くまで明るいが、大きな不便?はありませんでした。
 昼遊びと夜遊びについてですが、昼遊びは景色だけを眺め、日に焼ける極めて健康的な遊びだけで、夜遊びは首と目を忙しく回転させるので疲れるうえに、ネオン焼けをしてしまう極めて不健康な遊びです。ただし、英語が流暢でないと、お金を払っても権利と義務が全く分かりません。民主主義のアメリカで権利と義務の内容が分からないということは、致命的となります。変な酔いかたをするだけです。私を含め東海中・水商の還暦到達者は致命的な目にあいますので、夜遊びは若い時の思い出だけで、アメリカに来た時、実行はお止めください。・・・・向学心に燃える方は、詳しく知りたいでしょうから、T又はAに直接お問い合わせください。
                                           T記

2008年9月13日 (土)

還暦祝いでアメリカ横断  IN80号線で6000kmを走破。

 2008年9月12日ニューヨークからサンフランシスコに向かうインターステイト80号線上で目標の6000kmを
達成しました。カルフォルニア州の州都サクラメント市まで約50km手前の地点でした。なんと記念をして降りた出口の名前は、「ゴールド・ラン・GOLD RUN」でした。
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咄嗟にゲンを担ぐ私は、「金とか財が駆けつける」と勝手に訳しましたが、電子辞典で調べた結果は誤訳でありませんでした。このゲンの良い事を、横断支援者の皆様と分かち合いたいと思います。計画をしても出来るわけがなく、作り話をしても同行の秋野君に証明されないでしょう。なんでこういう事が起きるのでしょうか。不思議な気持ちになり、本日も神様に感謝をいたします。あくまでも、呑気な私なのでしょうか?呑気者も非呑気者も人生という時間は同じなのでしょうね。だから、人生は悠々と生きなくては勿体ないのでしょうね。
 明日は最終地点のサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジです。橋の上の広場に行き、日本か持っていった焼酎で、天に向かい道中安全感謝の儀式を行いたいと思います。14日15日の両日は休養と記念品の買い出しでゆっくりします。16日午後12:00の飛行機で日本へ向かいます。サンフランシスコのゴールデンブリッジまで残る距離は約160kmです。明日はいよいよ到着です。無事に行きつけるよう天照の神様ご加護をください。
 とりあえず、今日はここまでにします。道半ばですから。
                  呑気会 会長候補者   ?重輝

2008年9月12日 (金)

還暦祝いでアメリカ横断  大きく道を間違い、オレゴン州まで。

 IN80号線上のリノの手前の知らない町で昼食をスーパー内でたべた。その後IN80を戻らないで、砂漠の綺麗なルート95に乗って北に進み、50(80km)マイル進んでから戻ろうと思って出発をした。ルート95号線のスピード限度は70マイル(120km)で、最初は快調に進んだ。ところが、小さな標識を見逃してしまった。アメリカの標識は約70マイル(100km)進んで、やっと立ってます。見失ってしまったために、往復300kmのガソリンと時間を失ってしまった。行けども行けども、岩石の山と名前の分からない植物(西部劇で長靴の足元を風で飛びまわる草)が目に入ってきます。1時間進んで、出会う車は3台前後です。道路上には、車で跳ねられた馬と小動物が
干物になるのを待っています。だんだん日が暮れてきました。思い切って決断。「反対だ」と私は叫ぶ。
友人は「そうかな」「聞いてみよう」。私は「どうやって、どこで誰に聞くんだ」と、言葉が厳しくなる。険悪ムードだ。双方とも心の中では、よく見ていないからだ、と言いたいのだ。このムードを双方が察知し、私が「月が綺麗だ、上弦だ」と、ブログで再発見した言葉で、ムードを和らげました。友人も出来ている「野宿もOKだ。やってみたい」と答えてくれました。そんなムードの中で、戻った町の名前さえ確認しないで泊まるようになりました。明るくなれば町の名前は分かります。
 モーテルに入った時間は、午後10:00でした。夕食無し、店が無い、ただし、大好きなリッツ菓子でビールを飲んでいます。そこらじゅうに牛か馬、おまけに狩猟犬までいる町に、日本食店なんか有るわけが無いのだ。焼き鳥又は寿司などのゲットは月に行くより不可能です。そんな町に泊まっています。友人は早めに寝息を立てています。そして、ここは携帯の電波が届きません。ご了解をしてください。
 ネバダは博打と快楽の町、上に上がるとオレゴン州で狩猟と牧畜の町で、私たちは自然に、博打と快楽の町を
反れたようです。日頃の人徳がやはりモノを言ったようです。神様、神様。の一日でした。
                                                      T

2008年9月11日 (木)

還暦祝いでアメリカ横断  博打の州へ

 ソルトレイクシティを午前9:00に出発した。相変わらずのインターステイト80号線上は塩の道である。ただし、今日は違う行動を密かに目論んでいた。午前11:00頃、IN80を突然的に北に反れる行動に出た。枝線を30マイル行くと軍隊の演習場がある看板を見たのだ。10マイルほど行くと軍人が手をあげて遮っている。曰く、「これから爆弾の実験があるから10分待て」と言ってるようだ。待つこと15分。大きな炸裂音と火柱、破片の飛ぶ火柱を見た。数秒後に「大爆音ドーカーン」。軍人は照れ隠しに「スモールサイズ」と言って近寄ってきた。私も同じく照れ隠しに「this is for you. japanease 黒飴?]と言った。双方が「グッド ラック」で永久に別れました。ソルトレイクのレイクサイドに到達すると、人家など全く無くバッファローの糞だけでした。なんと、ここは軍隊の実験場兼演習場地区内にある臨時道でした。約40kmIN80から反れて深入りしてしまったようです。しかし、帰り道に日本人では、一般的に経験できない目にあい大変興奮しました。まず、帰り道の20kmの道路上の全標識に多数の銃弾の痕があったこと、銃弾でハチの巣になったアメ車が2台横たわっていたことでしたが、本当に興奮しましが、貴重な経験にもなりました。
 IN80に戻りリノに向かい進んでいると、オアシスというゴーストタウンの町が目に入りました。1マイル程進んでから、どうしても見たいので、進路を切り替えてバックしました。砂漠の中に3軒の家屋があり、窓ガラスは破れています。人影が無いので近寄ってみると、馬のタズナをとめる馬柱、埃だらけの部屋、1950年建築の刻印、まさにゴーストハウスです。それでも中に入りたく観察を続行し、誰もいないので勇気を出して中に入りました。そこには、何十年もの埃、腐った不明物体、動物の骨、散乱した書類、置き去られた家族の写真等。繁栄と衰退から滅亡の結末を見たようで寂寞たる気持になりました。戻ろうと田舎道をさ彷徨っていると出られなくなり、ロープが突然に進路を妨げました。躊躇しないでロープをはずして、田舎道に戻ることができました。考えるに、他人が張ったロープははずしてはいけない、と考えるのは日本人的かも知れません。臨機応変に生きていくのが、砂漠の真ん中のルールかもしれませんね。なんせ、ここはアメリカですから。西部劇映画をよく見ておいて助かった。
 今、ソルトから320km離れた砂漠の名もない町に泊まります。インターネットはありませんが、モーテルの社長のラインをお借りしました。名もない町でも、カジノはそこそこあります。客筋はコンボーイの関係者のようです。編み下げ髪の女性が多くいる町です。別に若い女性が多いわけで無く、ここはインデアンの町のようです。50歳以上でも編み下げをしていますので、関係者は心配ご無用です。笑笑笑。
 午後8:00なお明るいです。

このあとは、約2時間後にインターを借ります。                  T


2008年9月 9日 (火)

還暦祝いでアメリカ横断   ララミー牧場を後に

 午前5:30起床する。パソコンに向かい送信をチェックする。外は暗闇で歩くのはまだ早い。一寸外を覗くと、
四方を丘陵が囲んでいる。今にも稜線の彼方からインデアンが奇声をあげて突入してくるよな景色の中にいます。
朝方は冷え込んだので、霜が降りるような早朝を迎えています。明るくなったら4kmの運動に行きます。
 今日は第2回目の雪を抱いたロッキー山脈超えをしますので、夕方には新鮮なニュースを記します。

 ララミーを出てから10時間経ちました。現在は、ララミーから550km離れた冬季オリンピックで有名になったソルトレイク市のモーテル8に18:30に入りました。途中の景色は、ロッキー山脈の稜線を走る形で来ましたが、見たものは牛、牧場、カーボーイ、羊、雪を抱いたロッキー山脈、大型トレラー、大きな岩石と岩肌、地平線、モニュメントバレー並みの岩山などでした。とにかく、どこまで走っても同じ景色でした。最初は、感動を得ていたのですが、同じ景色で300kmを
走れば二人とも寡黙になってしまいます。そんな時の話は、中学時代の友人の話に花を咲かせ、眠気を防ぐのが
一番です。
 今日でアメリカに来てから7日目ですが、飽きたものはアメリカのパン食です。次に、車内の英語でのラジオ放送です。反対に好きになったものは、一番が大型で堅固なアメ車、次に、他人への大らかさと優しさです。今のところは、このような状況です。なんせ、今日は砂漠の中を走り疲れました。夕食へGo  T

                         

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